もののあわれ ~京都編 その3~

2011年の東日本大震災の前には、前兆ともいうべき天災や地震が起きています。

2月の頭には、九州の霧島が爆発。2月末には、ニュージーランド地震が起こり、日本からの留学生が多数亡くなられました。

 

ちょうどその頃、京都には縁があってマイカーで何度も往復しています。また身内の就職活動とも重なり、家族内の不安定な心情もその頃の空気感にとてもよく似ていました.

 

今まで存在していたものが、一瞬で消えてなくなってしまう。

生命のはかなさともいうべき「もののあわれ」は、何も人間の命のことだけをいうのではないのだなと思うような出来事もありました。

 

前年の2010年末に、宇宙探査船「はやぶさ」が地球に帰還するという事で話題になったのです。もはやコントロール不可能と思っていた「はやぶさ」が、最後ようやく地球からの呼びかけに答えて、「イトカワ」という星のサンプリングを持って帰ってきたのです。

ミッションを終えた「はやぶさ」の最後は、大気圏に突入して燃え尽きることだけ。

 

その「はやぶさ」に対して、宇宙開発機構のスタッフはもう一度地球の姿を見せてやろうと、はやぶさのカメラを地球に向けさせます。

はやぶさ」の最後の目に、懐かしい地球の姿が映ります。

はやぶさ」はカメラのシャッターを切ります。その時の白黒の一枚が鮮烈な印象を人々に残しました。

 

はやぶさ」にまるで魂があるかのように、単なる冷たい器械は擬人化され漫画にも描かれて、最後の大気圏突入の時にはまるで本物のストーリーであるかのように涙がこぼれました。

 

この時、大気圏突入してオーストラリアに落ち回収されたパラシュート付きの「はやぶさ」の一部が、ちょうど3.11の年の2月の節分の時に京都大学総合博物館で一般公開され、私も見ることができたのでした。

 

銀河系の大宇宙を旅してきた唯一無二の「はやぶさ」。見た瞬間、何か特別なオーラを感じるに違いない。

そう期待して間近に対面する瞬間を、長い順番の列に並んで待ちました。

そして、いよいよ見ることができました。けれど、残念ながら期待していたオーラはありませんでした。目の前にあったのは、パラシュート付きのただの冷たい金属の塊でした。

では、なぜあんなに涙がこぼれるほど感動したのでしょうか?

それは、このプロジェクトのストーリーを創った人たちの「人間的な心情」に共感したのだと思うのです。

本当は何の関係もない他者に自分が成り代わってみて、こんな気持ちになっているに違いないと勝手に想像して創ったストーリーに、他のたくさんの人たちが共感し同情し、一瞬同じ気持ちになったということだったのでしょう。

 

けれど、そうした人間的ストーリーも、結局は創造物。

ミッション後に残るのは、数字のデータと冷たい金属の塊だけだったのです。

 

無機質で熱のない人間のコミュニケーションには抵抗を感じる

と言う人たちの何かが、無意識にこういう形であらわれたのかもしれません。

そして、そうした不可思議な感情のうねりは、その後に続く3月の11日まで静かに起伏していたのでした。

もののあわれ ~京都編 その2~

平安時代の文学作品の中で、「もののあわれ」と言ってまっさきに思い浮かべるのは、ほとんどの人が『源氏物語』でしょうか。 

その『源氏物語』の作者紫式部の史跡の一つ「廬山寺」も、京都のイメージにふさわしい一度は訪れてみたいお寺でした。

高校の古文の授業では、平安の王朝文化の二大作品として『源氏物語』と『枕草子』を本格的に学習し始めます。

けれど、机上の学習で物語の組み立て方、流れなどをひととおり頭の中に入れたとしても、修学旅行のコースに入っているわけでもなく、実際に作品を生み出した作者たちがどんな風に生きていたのか、その名残の場所を訪ねてみようと思わなければなかなか辿り着けないような場所です。

(「廬山寺」は、今の京都御所の東の寺町通という細い道から入りました。)

 

初めて訪れたのは、2008年。たまたまTVで「源氏物語絵巻修復作業」のドキュメンタリー番組を見たのですが、その中で「廬山寺」が紹介されていたのでした。

その場所で紫式部が生まれ育ったとされているのですが、本堂前には美しい日本庭園がありました。

苔の間に桔梗の花を散りばめたような植栽が印象的で、訪れた時もちょうど桔梗の花が満開の季節。苔の緑に青や紫の花の色が映えて、しばらくその美しい庭園をゆっくり眺めることができました。

 

二度目に訪れたのは、2011年。ちょうど節分の日でした。私はちっとも知らなかったのですが、このお寺は鬼踊りで有名だったのですね。

テレビ局のカメラまで入って、大勢の参拝客がいまかいまかと待っている中を、赤鬼、青鬼、黒鬼の3鬼がコミカルな動きで舞い踊りながら舞台へあがっていきます。

その後一般向けの豆まきが始まって、私も常備していた買物袋を頭の上に高くかざして、皆と一緒にワーワー言ってみたら、有難いことにだいぶ離れていたにも関わらず、2,3粒お豆が入りました。

 

観光客気分での節分参加でしたが、その2,3粒のお豆を家族で分け合って食べてみて、格別においしかったように記憶しています。

 

けれど、そんな和気あいあいとした穏やかな気分の新春の始まりが一瞬で暗くなってしまうような事が起こったのです。

節分翌月の3月に、あの東日本大震災が起きたのでした。

 

 

もののあわれ ~京都編~

2017年末には京都国立博物館で大規模な『国宝展』が、明くる2018年の1月からは東京の国立博物館で『仁和寺と御室派のみほとけ』展が開催され、再び王朝文化が花開き始めたように注目されている京都ですが、ここ数年でかつての「王朝の雅」のイメージとは全く違う新しく生まれ変わった京都も随所で感じられます。

今年のお正月には、久しぶりに清明神社に参拝させていただきました。しかし、ここでも時代の流れと共に刻印される大きな変化をじかに目にして、戸惑う事が多々ありました。

2006年頃、初めて訪れた時は、神社の隣にはまだ古い織物屋さんがありました。一階のショーウィンドウには織物の反物やネクタイなどが展示されていましたが、一歩中に入るとそこには京都特有の奥へ続く細い土間があって、そこで安倍清明ゆかりのお土産なども販売していてとても楽しかったという記憶があります、けれど、その場所は今ではもう駐車場になってしまい、建物はなくなってしまいました。

また、神社境内も様変わりしていました。

10年前にはまだささやかな感じがして参拝客もまばらで神社の静寂さが奥ゆかしく、とても清々しい心持になれたのですが、今年のお正月は参拝客でごった返し、昔のイメージはまったくありませんでした。

昔は、お守りなどの授与所も1か所だけで、あの頃の映画『陰陽師』の成功を祈願した映画関係者の絵馬などが飾られていて、それを眺めたりして楽しかったのですが、今年はそんなこともできませんでした。

本殿の前の呼び鈴も、混雑を予想してか4つも用意してありとても驚きました。

お守りの授与所は2つに増えていて、長い行列で順番を待ってようやくいただけました。

 

また神社には大きな木があって、たしか「欅」と表示されていたように思います。

はじめは普通に植えられている木だと思っていたのですが、どうやらとても神聖なご神木らしく何人もの参拝者が木の幹を抱いて熱心にお祈りしていました。

ケヤキの木は月に生えていると想像されている木らしいので、そういうことから神社のご神木になっているのかもしれません。

「木」と言って思い出すのは、2017年末に神戸の方で話題になっていたクリスマスツリーのヒノキですが、同じように木として生まれてきてもずいぶん違う運命をたどらなければならなかったのだなとしみじみとした気持ちになりました。

 

タイトルの「もののあわれ」とは、まさに平安の王朝文化をそのまま言い表したような美しい言葉だと今も思っています。

多くの戦乱や戦禍に巻き込まれながらも、透徹した眼と一貫した美意識を持ち続け、そこに暮らす人々の一人一人が普段の暮らしを丁寧に大切に生きていると感じられる場所。

訪れるたびに、そうした高い美意識に心が正されるような場所。

そうした京都にも、時代の大きな波のうねりの中で変わらざるを得なくなっていくときの、はかなげで見つめなければすぐに消え去っていってしまうような何かを、少しでも見つけて私なりに伝えていければ有難いなと思っています。